災害や事件事故に見舞われた方々の悲しみとは比べようも無いのですが、自分も大切にしていた人や物との別れが多い数ヶ年を過ごしました。
そして僕以上に大変な思いをなさった友人が身近にいて、最近は柄にも無く「人生」について深く考えてしまいます。
僕の場合、自分の身に降り掛かることを「他人や社会のせいにし過ぎちゃいないか」と猛省し、初心にかえるべく学生時代を過ごした浅草に出かけることに。
「学校は中野坂上なのになぜ浅草に?」と在学中からよく尋ねられましたが、先に上京していた5歳上の兄が住んでいたマンションに居候したのです。
田舎から出てきたばかりの僕にとっての浅草は「下町」というより「観光地」であり、安易に溶け込める雰囲気ではありませんでした。
そして「三社祭」などの東京ならではのイベントが多い街ですから、授業の課題になったり、所属していた報道写真部(!?)の活動の舞台にも扱われることが多く、切り離せない場所。つまり、不安と焦燥の塊を背負っていた辛い時代を過ごした街ですから、引っ越してからは滅多に足を運びませんでした。
上京した年に仁丹塔が解体され、浅草ビューホテルがオープンし、隅田川のさくら橋が開通するなど、目まぐるしく変化した時代でしたが、今はなんと行っても「東京スカイツリー」が新しいランドマークとしてそびえ立っていて、時の流れを感じずにはいられません。
昼食後、同行した家人の強い推しに負け、当時住んでいたマンションを探してみることに。
入居当時には既に「新しい」とはいえない建物だったので残存しているか不安でしたが
記憶を辿って歩みを進めると、周囲の風情もそのままに残っているではありませんか。。
エントランスはリフォームしたようでしたが、他は25年前と全く変わらない様子でした。
オーナーが愛情を持って大切に管理なさっているんでしょうね。
都会では、まだまだ使えそうな建物を取り壊しては新しいマンションや商業施設が建ち並びますが、新名所の傍らでこうして変わらない場所があることに安堵します。
僕のわがままで約束を破って、家業の跡取りを蹴ったために父とのと軋轢が生じてしまい、兄とも顔を会わせ辛くなり、友達の家を泊まり歩いた時もありました。
途方に暮れて歩いた隅田川のほとりも、妻子と一緒に過ごすと感慨深いものがあります。
上京して四半世紀。特に最近は得るものより手放すことが多い時期でしたが、今ここに一緒に居てくれる家族、そして仲間たちに、あらためて「感謝」できたショートトリップでした。
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