Art Book。

前回、ご紹介した「日本の写真文化を世界にプロジェクト」の活動の一環として、海外のアートブックフェアに出展するための試作が届きました。

自分の写真作品が本の体裁になるとどうなるのか、自分で試した事はありましたが、外注したのは初めてのこと。

想像以上に良い仕上がりで気に入っています。
これも「日本の写真文化を~」プロジェクトのおかげです。

まだまだ乗り越えなければならないハードルは沢山ありますが、目先の課題をひとつずつですね。

このブック、昔のレコードジャケットみたいにインクの匂いがします。
時々、写真集や図録にもそんな匂いが残っているものもありますが、僕は好きです。

その匂い、「そういえば何かに似てるな」と思ったら、
自分のアトリエがある(印刷センタービル)のホールと同じ匂いなのでした。

海外に発注したのに、不思議な感じです。

「日本の写真文化を世界にプロジェクト」

柴田誠氏が代表を務める「日本の写真文化を海外にプロジェクト」の活動が4月1日にFACEBOOK上で発表されました。

そして翌2日、同プロジェクトのウォール上で、僕の写真展を香港で開催するための準備をしていることをコメントいたしました。(エイプリルフールのジョークと思われたくなかったので日を改めました。笑)

昨年末の僕の個展「Silhouette」展を御高覧下さった柴田氏から「海外で写真展をやらないか」というお話を頂き、年明けからミーテイングを行っています。具体的な内容の詰めは、まだまだこれからですが楽しみです。

アトリエの近くに「香港」というレストランがありますが「ああ、高崎さん、近所のレストランの壁面を使って個展をなさるのね。」と誤解なさる方もいらっしゃるかも。(笑)

一応、海の向こうの「香港」のお話ですので。

最近は広告の仕事も忙しくしているのですが、公開前の新製品の仕事が多く、相変わらずブログでは報告できない事ばかりです。

広告撮影、アート活動、以外にも水面下で動いていることがありますが、時期をみて随時この場でお話して参りますね。

 

立川。

旧事務所での1枚。

初めて降り立った地、立川。
元スタッフの写真家 幡野広志君の地元です。

例年より早い桜が舞い散る土曜日、彼の結婚式にお招き頂きました。

幡野君はとても優秀で、たった1年で僕の元を巣立っていきましたが、彼と組んだ一年は、僕にとってもかけがえのない期間でした。

当日、披露宴会場に入ってびっくり。
なんと僕が主賓席の一番上座ではないですか。
しかもスピーチも初めてのトップバッター。
「まぁ、自分もそんな歳になったのだ。」としみじみ思いました。
(こんなことなら、髪切ってくるんだったと後悔。失礼しました。)

出席した仲間たちと。

幡野君、実は結婚式前からかなりナーバスになっていて、心配していたのですが、とても素晴らしい結婚式でした。

 

なにより驚いたのは、結婚式の最中も自分で写真を撮っていた事。
後で聞いたら、式場サイドとかなり揉めたらしい。(当たり前だ。笑)
スピーチ前に僕のことを「師匠」だの、「写真以外にも教わった事が多く」、、、と、照れくさいご紹介を頂いたけど、これじゃあまるで、僕の影響みたいだ。

皆さん、この場でハッキリさせますが、これは彼自身のキャラであって、僕の指導の結果ではありませんから。(笑)

でも、幡野君の写真に対する姿勢は、僕も真似なきゃいけないと思う事が多いです。

幡野君のブログはこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshi_hatano1983

披露宴の締めの挨拶で、彼が「披露宴、成功したんだろうか?」って、奥様に呟いて笑いを誘ったけど、大成功でしたよ。

そして、お見送りの場で新郎新婦から手渡されたのがこれ。
なんと二人の写真がパッケージに印刷されたKit Kat。
すごいなあ。
中味は早々に頂きましたが、箱はずっと、とっておこうっと。

昨年から続いた結婚式ラッシュも、これで一旦落ち着くはず。

さあ、みんな頑張っていきましょう!

さくら。

移転した時にビルの管理会社の方から、「春は哲学堂の桜が素晴らしいですよ。」と教えられました。

ずっと楽しみにしていたのですが、今年は天気が良い日に、ゆっくり桜を見ながら通勤することが出来ませんでした。

テスト撮影のモデルに、春休みに入った娘を起用することになり、「せっかくだから」と花見がてら歩いて出社。

大人の脚だと自宅から20分程なのですが、子供を連れて、しかも舞い落ちる花びらを追いかけだすものだから、いつもの倍の時間が掛かりました。


まぁ、たまにはこんなのんびりした通勤時間を過ごすのも良しとしましょう。

再会。

野田君と由佳さん。終電もなくなり2軒目へ移動。

光陰矢の如し。「二十数年振り。」という数字が出てくるのが怖い、、。

Facebookで繋がったゼミの同級生が上京するという事で再会。
東京での所用を済ませ、帰ろうとしていた松永由佳さんを東京駅で捕まえ、合流した野田尚之君と三人で楽しい時間を過ごしました。

大手化粧品メーカー「S堂」の宣伝部で活動した後、地元新潟で大活躍しているフォトグラファーの松永さん。
そして大手広告代理店「H堂」を独立して1年にも満たないのに、仕事と作品制作の両方で精力的に活動を繰り広げている野田君。
そんな二人と盛り上がっているうちに新幹線の終電を過ぎてしまい、始発の時間まで飲み明かすことに。

みんな大人になったというのに、ノリは学生時代と変わりません。

松永さんの今回の上京の目的のひとつは、野田尚之君の個展を訪れる事でした。
このブログでも前にご紹介しましたが、会期はいよいよ残すところ一週間となりました。

http://viglowa.co.jp/02/kiseki/

3月24日(日)までですが、月・火曜は休廊日となりますのでご注意ください。
(20日の祝日と金土日曜は野田君が在廊予定です。)

僕は普段から写真とアートの区別無く、いろんな展覧会を見て目を養うようにしていますが、この「kiseki」展は本当に素晴らしいと思います。

奇しくも僕の写真展の次に、同じ会場「ギャラリー・ヴィグロワ」での展示となりました。仕事も作品も同じステージで同級生が大活躍していることは、嬉しいとともに大変刺激になります。

東京駅近くの居酒屋を出て空を見上げたとき、野田君が動いている光の点を指して、「あれは宇宙ステーションだよ。」と教えてくれました。
少年少女のような眼差しで夜空を見上げる三人でしたが、次の再会はいつになるのでしょう。

いつまでも出会った頃の夢と野心を忘れずに、頑張ろうと誓うのでありました。

3月14日。

20060314

元々、仕事以外でカメラを手にする機会が少なかった僕ですが、8年前にライカM7というフィルムカメラを手にして以来、作品やプライベートの写真を多く撮るようになりました。

最初は露出計の癖も掴めず、なかなか馴染めませんでしたが、次第に仕上がりの深みにハマってしまい、自分の大切な道具のひとつとして使い続けています。

上の画像、僕のfacebookのページによく出てくる眺めですが、写真に付されたメモには「2006.03.14」と記されています。

里帰り出産のため埼玉の病院に入院していた妻から、破水したので病院に来るようにと夜中に連絡を受け、翌朝自宅から撮影したものです。
「君が生まれた日はこんな朝だったんだよ。」と、伝えたくて撮ったのを憶えています。

そしてその日の夕方に長女が誕生。

予定より一ヶ月早く出て来てしまったので、ガラス越しの初対面でしたがライカで何枚か撮影しました。

最初の一枚。

感動と興奮のために最初の一枚は手ブレしてしまったものの、その時の高揚感が表現されているようで、家族にとってかけがえのない一枚となりました。

今日であれから7年。おかげさまで親の期待通り、元気で明るく育ってくれています。

ホワイトデーだというのに色気の無い話ですいません。

完全復活。

スタッフからバースデーケーキ頂きました~。

厄介な風邪も、怪我も治り、完全復活しました。

そして本日は小生の誕生日。

お陰さまで、またひとつ歳を重ねることが出来ました。

今朝、田舎の母から自宅に電話があったようですが、娘が僕に変わる前に喋りまくった挙げ句、勝手に切ってしまったので一言も話せませんでした。
まあ、特に話題がないことが無事な証拠で、母にとっては孫と沢山話せて幸せだったのだと思います。

そして、FacebookやTwtter、そしてこのブログのおかげで
皆様から沢山のお祝いのメッセージを頂きました。
本当にありがとうございます。

皆様、これからも宜しくお願いいたします。

2013/02/20朝

野田尚之くん写真展「kiseki」のご紹介。

ここ数年、風邪をこじらせる事も無く過ごしていましたが、ついに流行の風邪にやられていました。
オマケに年末に怪我した手も治りが悪く、ちょいと凹み気味でした。
(医者の指示を無視して酷使してたら、そりゃ治りが遅いに決まっている、、。)

しかし今年の冬が一段と寒いと感じるのは僕だけでしょうか?
自転車通勤が辛いこの頃ですが、春まであと僅か。
頑張って乗り切りたいと思います。

さて、お知らせです。
僕の写大(東京工芸大の旧略称です)時代の同級生、野田尚之君がギャラリー・ヴィグロワで個展を開催します。

野田尚之 写真展 「kiseki」
2013年2月27日(水)〜3月24日(日)
於:ギャラリー・ヴィグロワ(東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷」駅から徒歩1分)
http://viglowa.co.jp/02/kiseki/

僕も必ず観に行きます。
(パーティー形式ではありませんが、レセプションの2日(土)、3日(日)はドリンクが用意されているそうです。)

野田君とは卒業後、ずっと同じ業界で働いていたにも拘らず、再会したのは一昨年の僕の「Life」展会場ででした。
その後、連絡を取り合うようになり、今ではお互いに良い刺激を与え合う仲。

昨年末の僕の「silhouette」展の時に、打ち合せに来ていた野田君の作品をちらっと拝見しましたが、素晴らしいものでした。
今回の彼の作品は「星空」を被写体にしていますが、決してただの天体写真に終わっていません。
カメラの受光体をキャンバスに、星の輝きを筆にして描いたアートです。

アトリエからの帰り道、冷たくて澄み切った空気にも拘らず、夜景の照り返しのせいで星の少ない東京の夜空を見上げながら、僕も「kiseki」展の開催を待ちわびています。

皆様も是非ギャラリーへどうぞ。

喫茶ショパン。

喫茶「ショパン」

降雪の予報が外れ、暖かい雨が降る朝でしたが、狙っていた画が撮れそうになかったので撮影を延期。
ぽっかり時間が空いてしまい、思い立って要町の喫茶ショパンへ行ってきました。
受験のために上京したその日から、ずっとお付き合いさせて頂いているお店なのです。

当時は中野坂上の写大キャンパスのすぐ側にあり、受験当日、早く会場に着いた僕は時間調整のために初めて訪れました。店内のピアノの上にマスターの宮本氏が出版なさった著作が3冊ほど店内に並べられていて、「落第したら受験の思い出になるかな。」と一冊購入しサインを頂いて帰りました。

無事合格したものの、在学中は授業そっちのけでアルバイトにばかり精を出していましたが、ショパンにだけは毎日のように通っていました。
そういえば、僕が生まれて初めて写真展を開いたのもショパンでした。発表しただけでなく、近所のお医者様が気に入って下さって作品をご購入頂いたことが、今のアート活動の第一歩として繋がっていたようです。

時を経てお店は豊島区の高松に移転するのですが、現在宮本氏は著名な音楽評論家として認められ、クラッシック音楽関連書籍も30冊を超え、講演活動にも力を入れておられます。

中野坂上時代、マスターが接客の合い間の僅かな時間を利用してカウンターの隅で執筆なさっていた姿が忘れられません。その努力がこうして音楽業界での評価に繋がったのでしょう。そして間違いなく、僕に影響を与えた方のお一人です。

社会人になってからも、訪れる度にコマーシャルだけ撮っていた僕に、「早く作品を撮って発表しなさい。」とハッパを掛け続けてくださいました。

今回もお付き合いのしるしにと、新著の自伝「クラッシックよ永遠に」にサインを頂戴して帰ってきました。

最初の出会いがs60年(1985年)!?!?

お店の名前から想像出来る通り「名曲喫茶」なのですが、マニア向けの会話も出来ないようなお店ではなく、マスターの好みの楽曲を一流の機材で流している一般の方でも入りやすい喫茶店です。
今ではお店には日本中からクラッシック音楽好きのお客様がいらっしゃるそうです。

ロック一辺倒だった僕も、なぜかアトリエを移ってからクラッシックばかり聞くようになりました。これからは、マスターに「喝」を入れてもらう目的以外にも、純粋に音楽を楽しみに出かけることになりそうです。
よろしければ皆様もお気軽にどうぞ。
(土曜日はクラッシック愛好会が開かれるので入店出来ない時間帯があるかもしれません。)

久し振りにマスターにお会いした事で鋭気を分けて頂きました。次の作品制作に勤しむ事とします。

大雪。

成人式の日、関東に大雪が降りました。

雪国育ちの血が騒ぐのか、猫のように丸まった妻を尻目に、チビと雪だるま作り。
本当は近所の森に行って作りたかったのですが、娘の風邪が治りかけだったので大事を取ってベランダでの制作と相成りました。。


さすがに地上8階の高さでは吹雪も半端じゃなく、未完成のまま退散。。
でも良い思い出になりました。

挫折した等身大アンパンマンとチビだるま。

翌日、アトリエが入居しているビルの方々と除雪作業。
テナントとして新入りの僕にとっては、皆さんとお近づきになれる良い機会でしたし、田舎に居た頃は冬の日課だったので、苦痛どころか懐かしく楽しい作業でした。
でも、さすがに筋肉痛が。
あれから30年近くか、、、。しみじみ。。